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アンドリュー・スコット主演舞台『Emperor and Galilean/皇帝とガリリア人』感想

8月頭のロンドン行き、最大の目的はこれ。『SHERLOCK/シャーロック』でジムを演じているアンドリュー・スコットの舞台『Emperor and Galilean/皇帝とガリリア人』@National Theatre

予備知識なし+芝居慣れしていない+英語ということで、1回じゃ分かんないだろうなと思ったわたくし、£12の席が取れたのをいいことに2夜連続鑑賞。アンドリュー・スコットの英語がIrishアクセントなのにとっても分かりやすいという、英語非母国語者には感涙ダクダクになりそうなものだったので、白紙で見た割にはかなり分かった気分になりました(笑)ネタがキリスト教関係ということで、余計ハードルが低かったのもあり(←alexはキリスト教信者じゃありませんが、幸か不幸か知識だけは叩きこまれたので、知識だけ持ってます)

以下、ネタバレと勝手な思い入れしかない感想。

【注意】「芝居としての出来」や全体像を知りたい方は、chieko様の演劇レビューブログ「I Went Crazy, Not Stupid」をご覧ください。『Emperor and Galilean/皇帝とガリリア人』も、素晴らしいレビューが載せられています。

この後に続くalexの感想は、レビューではなくてただの感想なので、芝居全体のレビューを知りたい方には全くもって役に立ちません(断言)

お芝居をよく見ていらっしゃる方々と感想交換した際、どうやらalexは全体ではなくてキャラクターに思い入れを持つタイプらしいと実感しました。木を見て森を見ないので(それはどーなんだ)、感想にはなってもレビューにはなりえないことが明白(笑)ついでに言えば、この手の感想ってのは、見た人間の過ごしてきた時間(人生?)に大きく左右されるものですねw

【注意その2】敬虔なキリスト教信者の方がもし、万が一この記事を読んでいらしたら。今すぐ引き返されることをおススメします。信者には到底許せないであろう地雷が埋め込まれていますので、読後必ず「お前は間違っている!」と叫ばずにいられないと思います(苦笑)

ということで、とっ散らかったメモでも見てやっていいと思われた方は続きへどうぞ。無駄に長いです(お芝居が3.5Hなので)

<ネタバレ注意>

『Emperor and Galilean/皇帝とガリリア人』はイプセンの作品。イプセン…名前と「人形の家」しか知らないワタクシは芝居好き人ではないので、芝居としての出来を聞かないでください。

とりあえず、イプセンとこのお話の主人公ユリアヌスについての基本情報はWikipediaをご参照あれ。
Wikipedia:ヘンリック・イプセン
Wikipedia:フラウィウス・クラウディウス・ユリアヌス

作者が何を言いたかったんだとか、脚本家が何を言いたかったんだとか、監督は~(以下同じ)を考えたものの、『Emperor and Galilean/皇帝とガリリア人』に関してはどうしてもコレといったものが出てきませんでした。色々時代背景とか考えるべきなのでしょうが、その辺りのリサーチは、糸口すら思い浮かばなかったのでなし。

一言で感想を言うならば、「自由を求めて、完璧に惨敗したジュリアンの物語」。Defeatedって単語しか浮かばないジュリアンがイタくてもの悲しかったです…sigh。

尚、今手元にスクリプトがないのと、ちょっと時間が経ったのとで前後している部分や勘違いしている部分が多々あると思われます。気づいたら後で修正しますので、その辺はご容赦を。

<とっても端折った雑な粗筋>

[1幕]
ジュリアン(ユリアヌス)は、コンスタンティウスに両親&親戚を惨殺され(この辺は権力闘争。コンスタンティウスはジュリアンの叔父)、兄ガルスと共に祖母の家に預けられて山の中のマッケルムという村で育てられた。10代後半、ジュリアンはコンスタンティウスが治めるコンスタンティノープルに呼ばれ、「王子」ではあるものの、一挙手一投足を皇帝にがんじがらめにされた生活を余儀なくされる。敬虔なキリスト教信者として神および皇帝に全面服従の姿勢を見せてはいても、皇帝は彼に「神の家」に入って祈りを捧げることを許さない。

「神」をかざしながら、その実堕落しきったコンスタンティノープルとコンスタンティウスの信義に落胆・疑問を持っていたジュリアンは、「これから他の島に行って自由に勉強するんだ」という学生達に感化され、自分も街を出て行こうと考える。ジュリアンは、「第2のアレキサンダー。第三帝国」というお告げを母親やアガソンから聞かされており、それは学生達が口走った言葉でもあった。ちょうどその時、皇帝コンスタンティウスはジュリアンの兄ガルスをシーザーと任命し、ジュリアンは島を出て留学することを許される。

コンスタンティノープルを出てアテナイ留学6年目。神の道を追い求めているはずのジュリアンは、学生達との酒や遊びにうつつを抜かし、竹馬の友であるグレゴリー、ピーター、アガソン達は彼はどういうつもりなんだと困惑する。そろそろコンスタンティノープルに帰るべし、と考える親友達と裏腹に、ジュリアンはエフェソスにいるマキシマムという奇跡を起こす怪しい男の話を聞き、彼に会おうと考えた。その男は異教者だ関わるなと親友達は警告するがジュリアンは聞かず、誰よりも敬虔なキリスト教信者であるグレゴリーはそんな彼に愛想を尽かし、自分は別の場所で教会を建てると袂を分かつ。

その後、ジュリアンはエフェソスに渡り、ついにピーターとアガソンもジュリアンに「ついて行けない」と言って去って行った。1人になったジュリアンだったが、気にすることなくマキシマムの下で怪しい液体を飲み干す儀式らしきものを始める(マキシマムは自称霊媒体質なのか、様々な霊を呼んで交信させる様子)。

怪しい飲み物でトリップしたジュリアン、マキシマムを通して霊らしきものと会話し、自分の人生の意味、宿命を問う。マキシマムを通して語る声は、「自由な道の上に自由の国を建てよ」と話す。その声は3人の人物を招き、ジュリアンはその3人と問答を交わす。「なぜそれをしたのか」「それが自分だから」(←ここの問答はちょっとあやふやなので後ほどスクリプトで確認予定)。呼ばれた声の1人目はケイン(日本語読みはカイン。「カインとアベル」のカイン)、2人目はユダ(イスカリオテ)、3人目はまだ生きている人物で誰か分からない。

トリップから戻ったジュリアンに、ガルスがもはやシーザーではなくなったのでコンスタンティウスがジュリアンをシーザーとした、とのニュースがもたらされる。ジュリアンはこのニュースが、先ほど自分が見たヴィジョンの「新しい国を建てる」徴だと捉えた。

ジュリアンは、シーザーとなって新しい国を建てようと考えていたが、実際にはコンスタンティウスの命じるまま、あちこちに戦争に行かされるだけの日々だった。食べる物・飲む物・着る物から何もかもすべてがコンスタンティウスの命に沿ったもの。ジュリアンはコンスタンティウスの妹でありガルスの妻でもあった美しい女性ヘレナと結婚するが、憧れていたヘレナとの生活もジュリアンを癒さない。ある日、ジュリアンが投降した敵兵に情けをかけて命を救ってやると、その兵士は「皇帝ジュリアン!」と叫んだ。コンスタンティノープルで皇帝として君臨するコンスタンティウスにとって、その言葉は謀反を意味する。コンスタンティウスから刺客が差し向けられることを予想し、ジュリアンは怯える。

その時、兵達がジュリアンに対して蜂起したとのニュースが入った。ジュリアンは、度重なる戦闘で疲弊しきった兵士達にもう遠征はさせないと約束していたにも関わらず、皇帝コンスタンティウスからの遠征の勅命がきたのだ。「約束が違う!」と憤る兵士達にジュリアンは真実をぶちまける。遠征は自分の命令ではないこと。兵士達に金5枚の報酬をと皇帝にリクエストしても皇帝はそれを握りつぶして報酬を自分の懐にいれていること。活躍した兵士を昇進させたいと思っても、皇帝が許可しない事。ジュリアンの演説を聞いた兵士達は「Emperor Julian!」と叫ぶ。その時、皇帝からの刺客に毒を盛られたヘレナが狂人のようになって現れ、他の男と関係していたことを叫びながら絶命。彼女の死を悼むジュリアンは、決定的な徴を待ってマキシマムと地下に籠る。アガソンは「今はその時じゃない」と、皇帝への謀反を思いとどまらせようとジュリアン説得に心血を注ぐが、ジュリアンの答えは、昔ジュリアンがアガソンにプレゼントした十字架を踏みつぶすことだった。その時、皇帝コンスタンティウスの死が伝えられ、ジュリアンは名実ともに「皇帝」となってヘリオス(Helios:ギリシア神話の太陽神)を讃えながら首都に戻る。

[2幕]
皇帝即位お披露目。ジュリアンはキリスト教のシンボル十字架を蹴倒し、快楽に生きようと宣言する。それまでコンスタンティウスによって優遇されていたキリスト教に対抗して異教を保護・拡大。キリスト教の教会を焼き討ち、信者を惨殺することも厭わない。ジュリアンは、袂を分かった親友グレゴリーが建てた教会に行く。グレゴリーは自分の信仰が揺るがないことを告げ、拷問され目を抉られても信仰を捨てない。幼少期を過ごしたマッケルム村で、異教徒からキリスト教徒へと自分が改宗させた親友アガソンも、今やキリスト教徒による反乱集団を統率してジュリアンに刃を向ける。

ジュリアンの拠り所となるのは、「第二のアレクサンダー」となり「第三帝国を建てる」と言われた預言。マキシマムはずっとジュリアンの参謀として彼をサポート。キリスト教徒との軋轢が酷くなる中、マキシマムはジュリアンに遺された道は2つだと言う。このまま死ぬか、キリストを捨て否定するか。ここでジュリアンのとった道は後者。ずっと捨てきれずに持ち続けていたキリストへの想いを捨て、自らが神になる事。また、マキシマムはジュリアンが「Field of Marsで命を落とす」との新たな予言をする(この予言、このタイミングだったかちょっとあやふや)

俺は神だ、不死身だ!と威勢よく東方(バビロニア)へ遠征に出向くジュリアン。「しかしあなたは不死身では…」と何人かはビビるものの「俺への忠誠心はないのか」とジュリアンに言われ、引き下がるしかない。カラカラに乾いた砂漠をヨロヨロト歩いて行く兵士達、俺は不死身と意気揚々なジュリアン、何を言っても聞かないジュリアンを心配する部下&従者達。ヨロヨロの兵士達の中には、反逆罪で捕らわれたキリスト教徒達も含まれており、その1人アガソンは遠征中にピーターと再会する。神への信仰は捨てず、けれどジュリアンへの友情も捨てきれなかったピーターは、ジュリアンがヘリオスと叫び出した頃に身を隠してひっそり静かな生活を送っていた。

大規模な遠征は体力を奪うが、もうすぐ補給物資を積んだガリリア船が到着して、ちょっとは楽になると思われた時。1人のペルシア人がやってきて「バビロンへの秘密の抜け道を知っている。船では行けない。船を残しておくとペルシア人に奪われるから、船はすべて焼き払うなら案内する」とジュリアンに告げる。補給物資満載の、待ちに待ったガリリア船を棄てるなんてあり得ない!と騒ぐ部下に対し、またもやマキシマムと話し、第三帝国建国の夢を信じているジュリアンは、支援物資破棄を決定。燃え盛るガリリア船に驚愕する兵士達。

ガリリア船へ放った炎が天を焦がし、もう消火できなくなったその時、抜け道を知っているとタレこんできたきたペルシア人が姿を消し、タレコミが罠だった事が明らかになる。ペルシア軍に囲まれ絶望的となった状況で、ジュリアンの下にアガソンが連れられて来る。アガソンは武器を持っていなかったため、安心したお付きはジュリアンとアガソンを残してその場を去る。

ジュリアン、偽の情報をタレこんだ人間がアガソンだったと悟る。アガソン、ジュリアンが腰につけていた短刀でジュリアンを刺す。従者達の必死の手当も出血を止めることが出来ず、ジュリアンは駆けつけたピーターと従者に看取られて息を引き取る。ここはどこだ?と尋ねたジュリアンに返された答えは「地元の人間はfiled of Marsと呼んでいる」場所。ジュリアン死去直後、隊長が高らかに口にした名前は、イエス・キリスト。

-粗筋ここまで-

粗筋だけで力尽きかけ…(^_^;

死に場所が「filed of Mars」だと聞いた時点で、あぁぁぁぁ…とガックリ膝から崩折れる気分になったalexでした。

つまりすべては予言どおりってことなんですね(ハ)

ジュリアン、冒頭のコンスタンティノープルで嘆きます。「街にあるのは売春婦、嘘、罪」。叔父コンスタンティウスの神への信仰が決して純粋なものではないことをジュリアンは見抜いていました。自分の私腹を肥やすため、自分の権力を高めるため、人々を支配するために神を使っていることを。「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている」(マタイ23:27)といったところでしょうか。純粋に神を信じるには、<神を信じると言っている人々の行動>の矛盾がジュリアンの前に立ちふさがり、ジュリアンを悩ませます。幽閉モードで育つ中、ジュリアンは聖書以外にも新プラトン主義など様々な本を読んでいたらしく、純粋培養なキリスト教徒になりきれていなかったのがきっと不幸の始まりだったんですね。

対して、純粋に育ったと見えるグレゴリーは「哲学」を嫌います。それらは教義に反するものだから。つまり、聖書だけ読んで皇帝の言うことだけ聞いていればいいんだよ、です。留学の為に島を出る学生達は「勉強しようと思ったら、教会は俺達を閉めだした」と言います。幅広く世間を知ろうとしたら、背教者扱いで破門を食らうんだと。当たり前っちゃ当たり前なのですが、キリスト教を利用して政治を行う皇帝は、キリスト教以外の教えを振りかざされると迷惑なんでしょうね。指定した書物以外を読み、独自に見分を広めた者は必ず教義の矛盾を突いてくるようになるから。本当にその教えが正しいのか?と疑問を持つから。

厳重な監視下に置いていたものの、「哲学」関連の書物などに触れる機会が多かったジュリアンは、猜疑心に満ちたコンスタンティウスがジュリアンを神の家から閉め出したりなんかしたこともあり、「僕は神に愛されていない」と思ってしまい、それが留学→神を忘れたような日常に繋がる結果に。でも、残りの竹馬の友3人が信仰を失わなかった所を見ると、ジュリアンは「第2のアレクサンダー」となり「第三帝国を築く」という予言が自分に下っていると知らされていたが故に、純粋にキリスト教だけに染まれなかったのかも?とも思います。(この予言は母親がジュリアンが生まれる日に見たもの(だったはず))

アテナイにてやりたい放題の乱痴気騒ぎに耽っていても、ジュリアンの思考は実はまともで、酔っているように見せかけて実は酔ってもいないし頭はクリア。神について、哲学的アプローチも含めながらずーーっと考え続けてます。そこで出てきたイカガワシ~イ魔法使い、マキシマム(笑)興味津津になるジュリアン。身構える親友達。グレゴリーはとっても優等生です。偽善とされるものには一切近づかない。清く正しく美しく。模範的な信者のグレゴリーにとって、「神を信じないジュリアンは友人ではない」わけです。友人であるか否かは信仰心を持つか持たないかに依存する。信仰心を失くしたと判断した瞬間、お友達でもなくなるんですね。よくある話です。金の切れ目が縁の切れ目、ではなくて信仰の切れ目が縁の切れ目。

「いやいや、でもマブダチだぜ、俺達」と思ったピーターとアガソンは、「一緒に来てくれるよね?」とかわいらしくジュリアンに頼まれて陥落。まだお友達路線継続(笑)だけど、いよいよジュリアンがマキシマムについて行こうと本来のキリスト教道を外れだすと「もうついて行けねーよ!」。友情と信仰とは並立が難しいですね。

スクリプトが手元にないのでちょっと確認不足なのですが、このお芝居、ジュリアンに下された「第2のアレクサンダーとなり、第三帝国を建てる」という予言が、どこから来たものなのかが個人的には気になりました。これがキリスト教の神から下されたものなのか、第三者(?)から来たものなのか。この話は、予言を成就させる話なのか、決められた定めからの解放=自由を描いた話なのか。前者の確率90%、だけど10%くらいは後者に望みを馳せてもいいかしら?とちらっと思ったのも束の間、「field of Marsで絶命」と出た時点で、あぁ…最初の予言は成就されないまま死期に関するものだけは成就するのね、とガックリ。死期に関するお告げはマキシマム経由だったので、キリスト教神からの予言とは言い切れないものの、結果は見ての通りで。

個人的には、運命に逆らってほしかったのです(笑)でも、マキシマム経由で問答を繰り返した2人の人物の名前を聞いた瞬間、「予定調和」という単語が脳裏を闊歩していきました。そう、カインとユダ・イスカリオテ。この2人が現れたんなら、もうどうしようもない!

カインはアダムとイヴの子供で、俗に「カインとアベル」と呼ばれるおにーちゃん。アダムとイヴが善悪の知識の実を食し、不完全な存在としてエデンの園を追い出された後に生まれたカインとアベルは、当然不完全の塊。百姓になったカインと羊飼いになったアベルは収穫の時期にそれぞれの一番イイモノを神に捧げますが、肉食系の神は羊を捧げたアベルだけを祝福。カインは嫉妬に駆られて人類で初めて弟を殴り殺し、殺された弟アベルが地面に染み込んだ血の状態で「兄が私をっ!!」と神に叫び、それを聞き届けた神が「弟はどこ?」とカインに尋ね、罪の意識があったカインがビビりながら「知りません」と人類初の嘘を吐き、怒り狂った神によって追放された、そのカインです。

幼き頃、嘘を吐いてはいけません。きょうだいで争ってはいけません。と、このカインとアベルを引き合いに出して常日頃ガーガー言われたalex、ある日ふと思いました。え?カインってさ…めっちゃ不運な人なんじゃないの?だって、カインは百姓として自分が育てた作物の中でthe bestをお供えしたわけですよ。神よ神よ、貴方の愛と保護に感謝します、と。百姓なんだから当然肉じゃありません、それは弟の領分。なのに神はカインのthe bestが羊じゃないから却下した?それは神のえこひい…もごっ。じゃ、カインがアベルに「神は肉食だから羊がいいと思うのだ。お前のthe bestな子羊を俺にくれ」と頼んで2人仲良く羊を供えてたら、2人とも平等に祝福されたんですか?いや、きっと神はアベルを祝福したでしょう。神よ、それは人類初の不公…げふん。

そう、カインは悲しくも、人類初の弟殺し&人類初の嘘つき=子子孫孫に至るまで弟の血に呪われ神に疎まれる、という非業を背負わされた存在。「なんでやったんだ?」「やらなきゃいけなかったから」「なんでやらなきゃいけなかったんだ?」「それが自分だから」(←スクリプトが手元にないのでめちゃくちゃ適当です。間違えている可能性75%)。このジュリアンとの問答を聞くと、つまりはそう造られたからその行動しかとれなかった、というように…操り人形のように見えてしまうのです。神の偉大さとパワーを見せつけるための贄ですかい?

2人目はかの有名なユダ・イスカリオテ。そう、銀貨30枚でイエス・キリストを宗教指導者達に売り渡し、キリストがそれがもとで処刑されることとなった、あの裏切りのユダです。そうまでして銀貨を手に入れたのに、良心の呵責に耐えきれず結局首吊って命を落としたユダ。(正義は勝つ!的に言われますね、この最期)

でもですね、ユダって、とっても重要な役なのですよ。ユダがいなければキリストはあそこで処刑されなかったかもしれない。けれど、完全な神の子イエスがその完全な命を捧げ、「罪を贖ってくれ」なければ、人間はずーーーーっと不完全な存在のまま。ハルマゲドンもパラダイスもありません。なんせイエスはサタンと女との間、サタンの胤と女の胤との間に置かれた敵意なんですから、殺されなきゃ存在意義ゼロ。贖わなきゃ神と全人類の計画が狂います。

彼が杭にかけられる為の道を開いたユダ・イスカリオテは、「裏切ること」を使命として生まれたようなものでしょう。ユダは極悪人扱いされますけれど、彼がイエスを裏切らなければ華々しい予言の数々は成就せず(死後3日後に復活とか)、千年王国への希望すら出てこないんですから、彼って立役者じゃないの?なんて、敬虔なキリスト教徒が聞いたら憤死しそうな事をポソリ。

で、このカインとユダがジュリアンの所にやって来たのであれば、ジュリアンの将来も、彼らのように「決められたもの」で「不条理なもの」で「逃げられないもの」なんだなぁと、マキシマムお手製ドラッグでぶっ飛んだジュリアンのセリフを聞きながら、alexは凹んだのでした。そうか、君も敷かれたレールの上を馬車馬のごとく走るしかないのか…。

ジュリアンは人生の意味、特に自分に下されたお告げの意味をずーっと探していたというか、その正当性を示したかったというか、、、とにかく彼はこの「第2のアレクサンダー」「第三帝国」にずっとこだわっていました。もちろんそれが自分に下された予言なら気にならないわけないので、そこに疑問はありません。少なからず、彼は自分に下された予言には疑問を持たずにひたすらそれに向かって生き続けたわけです。

兄ガルスの死によってシーザーとして任命され、これで俺は堕落したキリスト教によるものではない、人々が幸せになれる国を作れるぜ!と思ったのも束の間。シーザーなんてのはただの「冠」でしかなく、皇帝の傀儡でしかない現実。別に殺しまくりたいわけではなかったのでしょう。ヘレナは異教徒なんてぶっ殺せ、モードでジュリアンの勝利を祝いますが。

そんな葛藤の日々を送るジュリアンに、敵兵が捧げた一言「皇帝ジュリアン!」。皇帝になれば…自分の望む統治が出来る。けれど、コンスタンティウスが君臨している今、そんなおっそろしいことは不可…。でもでも…これ以上皇帝の傀儡でいられるか!俺は第三帝国を作って皆を幸せにするんだ!という宿命を背負ったジュリアンの演説は見事なもの。殺気立つ兵士の殺気をコンスタンティウスに向け、自分への支持へすり替える。この人、天性の分を持って生れてるんでしょうね、指導者になるべく。実際、史実でもそれなりの成果を上げていたようですし。

そんなところへ転がり込んできたのは、毒入り桃を食した愛妻ヘレナ。胸を出し、幻想の中で誰かとまぐわい、オーガズムに達する彼女を見るジュリアンは絶望の眼差し。そりゃそーです。だってその桃、送り主はコンスタンティウスですもの!皇帝への憎しみ、権力への憧れ&使命感(第2のアレクサンダー)&ヘレナへの愛憎、ひっくるめて身動きの取れなくなったジュリアンが籠った地下では、マキシマムが人体パーツと血にまみれてお告げ待ちモード。マキシマムってそこまでぶっ飛んだ魔術師だったんですか(呆然)ジュリアン、コンスタンティウスの死を知らされた時、一旦地下に潜って口元血だらけにして戻ってきて「俺が皇帝だ」宣言ですよ。えっと、キリスト教では命を表す血を食す事は基本的に禁忌だったと思うので、昔アガソンにあげた十字架を踏み割っただけでなく口元を血だらけにして出てきたことで、キリスト教への完全決別を彼は主張していたのでしょうか。

ここまでで第1部。約2時間。長いのですが展開がスピーディなので、alexは退屈せず。

そして晴れて皇帝となったジュリアン。コンスタンティウスの遺体を運び出し、十字架蹴り倒し燃やし、今まで通りがいいやつは去れ。幸せになりたい奴は俺といろ。キンキラの衣装をまとっていよいよ俺の王国建設に乗り出します。小柄なアンドリューですが、キンキラ衣装がよく映える(笑)

結局ジュリアンはキリストを否定し、キリスト教の神以外を崇めるスタイルを取ったワケですが、でも、ジュリアンはかなり長い間キリスト教の神への信仰を持っていたと思うのです。つまり、神を求めていた、と。皇帝になり、教会を破壊しまくる中、破壊のさなかに「これでもあなたは何もしないのか?」とジュリアンは呟くんですよね(セリフの聞き取りが間違っていなければ)。

別のシーンでも“Take off your magician’s cloak, carpenter’s son!”と叫んでる。(大工の息子=イエス・キリスト)

キリスト教を否定すること、神になろうとすること。そんな無茶な道を突き進むジュリアンに、周囲(除:マキシマム)は口をそろえて言います。「勝てない戦いに挑むな」。確かに無謀であり、100%勝ち目のない戦いでしょう、神を相手にするなんて。

皇帝に即位してからジュリアンは、何を目の敵に?と思うほどの性急さでキリスト教に対して冷たくあたっていきます。グレゴリーの捕縛と拷問をOKしたジュリアンは一体何を思い、何と戦っていたのか…。皇帝への反乱を企画していたことを認めさせるため、兵士はグレゴリーを拷問し、最後には両目を潰して無理やり認めさせるわけです。その状態でジュリアンの前に引き出されてきたグレゴリーを前に、ジュリアンの胸によぎった想いは…。相対して、グレゴリーはそんな状況に陥り肉体的にはあり得ないほどの苦痛を味わわされていたとしても、神への信仰がガッチリあるために精神的には凹んでいません。自らの肉を引き裂けるほど力に溢れており、神への忠誠の中に死んでいき神の御許に晴れて召されるんだと言わんばかり。信仰に生きる人間から奪い取れるものなどないと、ジュリアンは思い知らされるだけ。

後半はもう、引くに引けなくなったジュリアンの大暴走の気配が濃厚でした。もちろん「第2のアレクサンダー」となるのがゴールではあるのですが、全てが空回りで結果が付いてこない。こんな結果が欲しかったんじゃない…と思いながら、よろしくない現状を打破するためにドンドン突飛な道を作り出すしかなくなって、次は神になって不死身だ、バビロニアを攻めるんだ、お前らは誰に忠誠を誓ってるんだ…。もう仮想敵すらいないです。引くに引けないけど、縋りたい夢と、掲げてきた大義名分と、プライドと、今までの実績と、人民と、部下と…太平洋戦争末期の日本軍上層部でしょうか。(←ただの思い付きです。リサーチに基づく例えではないのであしからず)

ガリリア船を燃やしたらバビロンへ行けるよ。

↑こんなオファー、正常な思考回路ならまず受けませんよね。部下達は自殺行為だと分かっていても止められない。皇帝を見捨てることはできないから。けれど、部下達はこの狂った皇帝から解放されたいと実は願っている。皇帝はもう駄目だ、あの人はおかしくなってしまったんだ。そんな声がそこここから滲み出ている。

アガソンは…もしかしたら一番ジュリアンの事を想っていたのかも。ジュリアンはアガソンが自分を殺しに来たことをどこかで悟っていただろうなぁと思いました。あるいはもう、進むべき道が見えなくて、ただ1秒1秒呼吸することしかできなくて、思考することができなくなっていたか。お疲れジュリアン、死は彼にとっての解放だったのかも。

最期の息を引き取る時、ジュリアンは自分が予言通り「Field of Mars」で息絶えることを知り、力なく笑います。この頃にはもう、ピーターとジュリアンのお付きの従者以外は誰もジュリアンの事など考えておらず、目の前に迫っていたペルシア人をどう対処するかの方が重要。ジュリアンが虫の息になっている時、部下達はペルシア人達との和解を頑張ってまとめ上げ、自分達の命を確保。「皇帝ジュリアン」はかつての面影なく、ごくごく少数以外には惜しまれることもなく絶命。ごくごく少数の看取った人間も、ジュリアンの死でどこかホッとしていたかもしれませんね。そして、ジュリアンの死が触れられると、改めてキリストに栄光あれ。(←セリフを忘れたのでとっても適当)

「最後に神は勝つ」なんですか、イプセンさん!(←やっぱり神は素晴らしい、という意味・観点では全くなく)信仰に生きる人々にとっては、この結末は「ほれ見ろ、神は素晴らしい」と喜ばしくなるものかと思いますが、個人的にはまーったく喜んでいませんのであしからず。

イプセンの宗教背景&時代背景が全く謎なので、ホントのホントに主題は何なんだ!としばらく悩んだものの、ダメですね。全くこれというものが浮かびません(苦笑)

ジュリアンが…もう少しバランスの良い人だったら、あるいは後半の大暴走はもう少しマシになっていたような気もします。理想に燃える、自分の力を信じる、夢を見る。そこまでは悪くない。でも、頼りにしたものがあまりにも禍々しかったというか、そこもまた「信じる」ことだけになってしまっていたのが不味かったというか。もう少し物理的・物質的な土台があればまた違ったのかもしれないのに、、とは思います。

夢を見るまでは簡単だし、権力が手に入れば何でもできるように思えるけれど、実際には権力を手に入れた後が問題で、そこから先が難しい。それでも、進み出してしまったものは、動きを止めることも後戻りすることもそう簡単には出来ない。じゃ、その前にも後にも右にも左にも身動きが取れなくなった中でどれだけ最善の道を求めるか。にっちもさっちもいかなくなって…自滅する?

ま、その…物事、思うようにはいかないよ!かじ取りは難しいからバランスを取るんだよ!でしょうか(なんて強引で適当すぎるまとめなんだ)

イプセンと言えば、「人形の家」しか観たことがないので、引っ張り出せるのはそれくらいです。でも私、「人形の家」のノラが実はかなり気に食わなくて、あれは解放に見せかけた地獄への扉大開放の物語じゃないのか?と思ったのが正直な感想。(ちなみに私が鑑賞したのは堤真一+宮沢りえのバージョン。2~3回観てもやっぱりすっきりしませんでした)

あの物語、妻ノラは自分の言うことを聞いて綺麗で従順にして自分の頭で何も考えずただ家にいてくれればそれでいい、という夫のあり方には大きな疑問を感じますが、じゃ、あの時代に彼女が一人で家を出て行ってその後幸せになれたのか?と考えると、それもないだろうな、と。「幸せ」の定義次第なので、金銭的身体的苦労をどれだけ重ねても、精神的に自由ならばそれでいい、というのもありでしょう。でも「人形の家」の時代を考えると、ノラはあのあと身体売って生きてくしかなくなるんじゃない?などと考え、複雑な気分に。「自由が広がっているはずの扉の向こう」に、本当に自由があるかどうかは、扉をくぐってみなきゃ分からないのですよね。ノラはそんな荒波も乗り越えて行ける気丈で強い女だ!と思う人は希望を抱くでしょうし、何の後ろ盾もなく頼るものもなく、精神的に完全に自立して独りで生きていくのはそんなに簡単じゃないさ、と思う人は心配が先立って希望が霞んで見えるのかも?

とにかく。ダラダラ書きすぎて全くまとまりがありませんが、やっぱり、「自由を求めて、完璧に惨敗したジュリアンの物語」というのが自分なりに一番しっくりくるお芝居でした。それはもしかしたら、少なからず自分が以前、「白く塗った墓に似ている」と口にした事があるからかもしれません(笑)

アンドリュー・スコットは、別のお芝居も観てみたいと思いました。別の話で彼がどんな演技をするのかかなり興味津津です。

▼公式トレーラー

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